宮沢和史×佐藤修 ブラジル100周年対談

100年前の、海の向こう。

ブラジル移民100周年ロゴ

今年、100周年。
日本人が、海を渡ってブラジルへ。
私たちは今年、その100年の記念日を通過する。
そして、運命としての100周年を迎える
宮沢和史氏と、佐藤修。
二人の日系移民への想い、100周年への想い。

この女性の一生はイコール移民史と考えたときに、鳥肌が立ったんです(宮沢氏)

――日伯100周年ライブを思い立ったきっかけと、最初の大型移民船である笠戸丸の乗船者、中川トミさんとの出会いについて教えてください。
宮沢和史

宮沢和史氏(以下、M)

100周年のライブをやりたいとはずっと思っていました。ブラジルのサンパウロに高野書店というものすごくマニアックな書店がありまして、移民のコーナーに古い本から新しい本まで揃っているんです。ブラジル行くと必ずそこに行くんですけど、東京で探すよりも、欲しかった南米やブラジルの本がほとんど見つかる。ブラジルに行ってはそこで移民に関する本を読んでいたんで、ずっと移民については興味があったんです。でも、実際におよそ100年前にブラジルに来た人(中川トミさん)を目の当たりにすると、不思議な感覚になるんですよ。100年ってすごく長いし、想像もできない。でもとても身近に感じられて、100年ってあっという間だったのかなと。この女性の一生はイコール移民史と考えたときに、鳥肌が立ったんです。一言一言が小さいけど大きいというか、「私はよく働いていたんですよね」と、何回も繰り返しおっしゃるんです。「姉はべっぴんさんだから良かったけど、私は朝も夜も働きました」と。その女性の一生を総括した言葉として「よく働いた」イコール移民史ということを知って、これはやっぱり一緒に祝わなければいけないだろうと。それが日伯100周年ライブを決心したきっかけですね。最後に背中を押されたというか。

佐藤修

佐藤修(以下S)

僕はリオのカーニバルを一度見てみたいと思って、2001年ごろにサンパウロに数泊してからリオに行ったことがあったんです。サンパウロでは日本人会の資料館に訪れたのですが、そこであまりにも自分が無知だと気づいて。たとえばブラジルのらっきょうを作る技術は全部日本の移民の方が教えたもので、現地でも〈らっきょう〉と呼ばれているとか、多くの農作物が日本から技術とともに渡って、今は根付いている。第二次大戦のときには日本にいる親戚から非国民扱いをされて、「それは違う」と一生懸命書いているお手紙が展示されていて、号泣してしまいました。

M:佐藤さんのお話を聞いていて思ったんですが、確かに人が書いた手紙というのはぐっとくるし、一番それが物語るというか、みんなに見せるために書いたわけじゃなくて、愛している家族や彼女に送ったものだから、真実しか書いていない。

S:確かに、みんなに読んでもらうつもりはもうとうなかった。

M:リベルダージ(サンパウロの日本人街)に最初に行ったとき、日系のお店がほとんどだったんですが、野菜が寸分たがわぬ形で置いてある。びっくりしたんですよ。白菜にいたってはもう、パンパンに重い。おかしいな、昔は白菜ってこうだったよなぁと。

S:今は小ぶりですよね。

M:軽くてスカスカで。一方でリベルタージでは野菜が誇らしげに置かれていて……。

100年前の、海の向こう。

――海外へ移住する当時の人々はどんな気持ちだったんでしょうか。
宮沢和史×佐藤修

S:「海外移住資料館」で当時の様子を知ることができましたが、かなり人それぞれですよね。それにしても、中国山陰地方の方や沖縄の方が圧倒的に多いことに驚きました。

M:沖縄は海の向こうには楽園があるという思想もあって、他の県の人よりは外に飛び出しやすかったのかもしれないですね。あと、今と違ってあまりにもブラジルがどういう国かわからなかったからこそ、かえって「行くか!」という気持ちになったというのもあるかもしれない。夢を描くというのと、情報が少なかったというのがあったんじゃないかな。あまり知っていると怖くて行けないですよね。

S:今は世界中が近くなっていて、外国の情報を手にすることが簡単ですが、当時はブラジル等は最も神秘的な国だったというのはあるかもしれないですね。

M:目的はいろいろとあったと思うんですけど、初期の方はすぐ帰ってくるつもりだったんじゃないかと。一攫千金を夢みて故郷に錦を飾るつもりで行ったら、現実は全然違った。帰りたくても、移民斡旋業者にお金を預けていて帰ることができない人もいた。プランテーションで働いていると、農場内に売店があって、そこで物を買うんですが、コーヒーがうまく採れなかったりするとお金をもらえなくて、売店にはツケがたまっていく。

S:借金がふくらんでいって……。

M:一年くらいで帰ろうと思っていた人が多かったみたいなんですけど、帰れなくなってしまった。それは想像できない恐怖ですよね。帰るつもりが帰れない。もうひとつは、船旅があまりにも過酷で。

S:行きの船の中でお亡くなりになった方もいますからね。

M:もう一度あの船に乗って帰りたくないっていう人もいたと聞いたことがあります。

S:マスターピースはアジアにコールセンターがいくつかあって、当然日本でも募集して、「海外で働きませんか」と投げかけをしています。みなさん一生懸命働いて頂いております。中には非常に簡単に考えている人もいて、三日で「帰らせてください」ということもたまにある。移民当時の方からすると、叱られるような例がいくつもあると思います。

右肩上がりで角度がきついから、落ちていく人を気にしないで走っている(佐藤)

宮沢和史×佐藤修M:最近、国というのは20年くらいで本当にバランスが変わるんだなと思うことがありました。2005年にキューバに行ったんですが、14年前に行ったときは、ちょうどソ連が崩壊して、店には何も商品がないような状態になっていたんです。それが、おととしくらいにカナダの援助で空港が整備されていたり、メキシコやベネズエラの援助で、「あれ? ここはキューバ?」というほどになっていたんです。ブラジルも14年くらい前はクルゼイロという危うい通貨で、パンを買うときに札束を同じ厚さにしないと買えないっていうジョークがあったようなお金なんです。それが、このあいだ行ったら全然違ってた。今まで僕らはどこかで、日本にはお金があって安定しているという幻想を持っていた。それが揺らいでしまっている。今はブラジルの彼らの方が生き生きとしていて、自信があるんです。日本は自信を持てるものが個人でしかなくなって、後ろにあるものは何もなくなっているというか。ITにしろ何にしても、シンガポールとかすごいじゃないですか。航空会社は実はマレーシアが凄かったり。国っていうのは10年、20年くらいで変わるんだなと。

S:そうですね、私も実際にブラジルの会社を訪問して驚きました。8名程度の社員で投資ファンドの預かり資産が、一兆円近くあったりしました。アメリカを中心に世界の投資がどんどんブラジルの中に入ってきていて、信じられないような額のお金が動いている。年率の40%のパフォーマンスというようなファンドもたくさんあるので、今のブラジルは角度がきつい右肩上がりの状態だと思います。言いかえれば落ちていく人を気にしないで走っているわけです。だから、すごく政治っていうのが重要になってくると思います。

M:すごく刹那的に感じるんですよ。僕の中では人間に対して、すごく悲観的なところがあるんです。二極化しているのは経済だけじゃない気がするんですよね。携帯電話もあれだけ買い換えて、出荷せずに余っているものもあるはずなんですけど、どこにも捨てられない。でも便利だからいいやって。なんか吹っ切りというんですかね、人間の。「ちょっと待って」がない。バイオ燃料は(石油から)移行するのか先が読めないですけど、これをブッシュさんとかがやると思っているんだったら危ないなと。もしバイオ燃料をやるとしたらたぶん、アフリカにある貧しい国のプランテーションで、人々は低賃金で働かされて、きっと化学肥料も遺伝子操作も使い放題で、環境的にはめちゃくちゃなことになって……それが簡単に想像できて、それが刹那的というか、「いいよもう、やっちゃおうよ」というのと「いやいやもう、やばいよ地球が」という考え方も二極化している。

S:(それを防ぐのに必要なのは)政治であり教育であり、知るためのきっかけが必要だと思います。とにかく、そういうことに早く気づいて、自分のできる努力をして、なにがしら社会の一角を担えるように、仕向けていかなきゃならない。

たった1日しかない記念日

――2008年の100周年までもうすぐですが……。

M:音楽家という道を選んで、サッカー選手と同じでブラジルの門を叩かないわけにはいかなかった。そして、僕のちっぽけな人生の中で、100周年がある。そのたった1日しかない記念日がある。ブラジルに関わってまだ14年だけど、100年の中の14年はまんざら短いわけでもないし、僕も一緒に祝いたいっていうことです。来年ライブを向こうでやるんですけど、日系の人だけ集まってくれというふうにはしたくないんです。日本の人が向こうに行って、日系の人が信用を築いた向こうの街でやりたいんです。僕は今音楽家として現役でいるということをフルに生かして、みんなで祝いたい。最初は一人で行ってセレモニーに参加してっていう方法もあったんですけど、やっぱりもっとブラジルに関心のある方とわいわいやりませんかという風になってきた。いろんな方の立場から、いろんな100周年を迎えてくれないかと思っているところです。

S:音楽家としてご自身で作った歌を、海外の方に聴いてもらって、一緒に歓びを分かち合えるっていうのは、やっぱり音楽家冥利に尽きますよね。

M:拍手をもらえればですね。僕の音楽が通用しなかった場面もたくさんありましたから。ライブやっても盛り上がらないっていうのも、両方あったんで。やっぱり拍手がおこってワーッっていうのをもう一度味わいたいですね。喜んでくれたってことですから。料理を出したら「美味い!」っていわれるのと一緒で、その瞬間をたくさんの方と共有したいし、それがみんなの夢になるといいなと。

S:失敗も良かったんじゃないですか。全部成功してたら、毎回ワールドカップで優勝するようなもんですよ。

M:ちょっとだけ期待が上回るんです。不安もありますけど。ただ、音楽が始まって、自由になって、全部忘れて、生きてることだけの喜びを感じて、拍手がバーッと来たときの感覚を知っちゃってるんで、それを一回でも多くやり続けるしかないなと。ブラジルでライブをやっていたときはブラジル音楽にのめりこんでいたんで、それを上手く魅せたいなというのがあったり、あるときは日本人しかできないことを追求したり……最近はすごくラフに考えていて、サッカーのカズさんもブラジルで修行して、向こうのサッカーを自分の遺伝子に覚え込ませて、今日本でやっている。それで何が見たいかというと、カズなんです。ブラジルスタイルうんぬんじゃなくて、カズがあの年でやっている。いろんなところでやってきた男のプレーを見たい。音楽もそうだよなと考えたときに、リラックスして、今の自分が出せると思いましたね。スポーツを見るとすごくすっきりします。

S:宮沢さんはグローバルですよね。日本で一番だと思います。宮沢さんとお付き合いしてから南米のこともより見るようになったんで、刺激をいただいて感謝もしています。知らなかったですもの、100周年のことも。(GANGA ZUMBAの)メンバーも日本人だけとかブラジル人だけとかじゃなくて、多国籍。宮沢さんの言ってることと行動が理にかなっている。僕はそういう宮沢さんの応援団になれたらいいなと思っています。

宮沢和史×佐藤修
宮沢和史さんのオフィシャルサイト 外部リンク

【PR】宮沢和史が率いる最強のミクスチャーバンド、ガンガ・ズンバが奏でる歓喜のサンバ!
ガンガズンバ新譜CD

GANGA ZUMBA 1st Single
「シェゴウ・アレグリア!〜歓喜のサンバ〜」
C/W「Under The Sun」「風になりたい(GZ Ver.)」
2008.4.9 ON SALE!
VFBV-00024 / 1,200yen (tax in)
GANGA ZUMBA Official Site 外部リンク
BRASIL 100 Site 外部リンク

関連リンク

企業情報